山本リンダ

1962年(昭和37年)に雑誌『装苑』のモデルオーディションをきっかけに、人気モデルとしての活動を経て、1966年(昭和41年)、15歳の時、ミノルフォンレコード(現徳間ジャパンコミュニケーションズ)より遠藤実作曲のシングル「こまっちゃうナ」でデビュー。同曲が大ヒットとなり国民的アイドルとして全国に知られるようになった。翌年第18回NHK紅白歌合戦へ初出場を果たした。当時は舌っ足らずな口調を売りにした、いわゆる可愛い子ちゃん歌手だった。 しかし、デビュー曲が大ヒットした後、ヒットに恵まれず人気は低迷した。 移籍、そして一世を風靡。1971年(昭和46年)、キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)に移籍。 また同年7月から年内いっぱいまで、東映制作の『仮面ライダー』(毎日放送)に出演、話題となった(劇中に「困っちゃうナ」のセリフが出てくるシーンがある)。 同作の阿部征司プロデューサーは、「山本は事務所移籍前で、歌の仕事を控えていたため、すぐに出演OKをもらえた」と語っている。この『仮面ライダー』では、北海道ロケの際に、宿泊先のホテルの歓迎看板に「山本リンダ御一行様」と書かれていたことがあった。この時期の『仮面ライダー』はまだ一般的な知名度が低かったため、ホテル側が「リンダの名を出した方が宣伝になる」と考えた結果だったようであるが、当のリンダはこの道義を欠いた行為に「他のみなさん方に失礼です!」と激怒し、即座に看板を「仮面ライダー御一行様」に訂正させたというエピソードが残っており[1]、主演の佐々木剛も「事前に言ってくれれば自分も喜んで宣伝に協力したのに」と、勝手にリンダの名前が使われたことに苦言を呈している[2]。番組は夏を迎えて大ヒットし、この高視聴率番組への出演で、子供達のみならずお茶の間での認知度も上がった。当時、山本は孤独感が強かったらしく、『仮面ライダー』での出演者やアクションチーム(大野剣友会)が「撮影の合間に鬼ごっことかかくれんぼをして遊んでくれたのが、とても楽しかった」と述懐している。 1972年(昭和47年)、キャニオンレコード移籍第二弾目のシングルレコードとして、当時の売れっ子作詞家、作曲家であった阿久悠?都倉俊一のコンビによる「どうにもとまらない」を発表。このセクシーな大人の歌手にイメージチェンジした曲が大ヒットとなり、再びヒット歌手として脚光を浴び、「アクション歌謡」の先駆けとなった。当時前例のなかったへそを出して歌う大胆な衣装、情熱的で激しいダンス、扇情的な歌詞の内容などが話題になり、「こまっちゃうナ」の頃を上回る人気を獲得。へそだしルックの第一号となる。この年、第14回日本レコード大賞作曲賞、第3回日本歌謡大賞放送音楽賞、有線放送大賞夜の有線大賞を受賞。また第23回NHK紅白歌合戦にも5年ぶりにカムバックを決めた。 1973年(昭和48年)、「狙いうち」が大ヒット。この年、第10回ゴールデン?アロー賞グラフ賞、キャニオンレコードヒット賞を受賞、第24回NHK紅白歌合戦出場。セクシーな激しい歌と踊りで人気を獲得した点で、後のピンク?レディーに先駆けていたと言える。『狙いうち』というタイトルが、「ボールをヒットさせる」という事を想起されることから、東京六大学野球の明治大学応援団が、作詞者の阿久悠がOBであったことから「チャンステーマ」として導入した。それが甲子園にも伝播し高校野球の応援歌の定番となり、また中日ドラゴンズの応援(得点のチャンスを迎えた時)でも使われている。翌1974年も「闇夜にドッキリ」で第25回NHK紅白歌合戦へ3年連続で出場を果たす。その他にも「狂わせたいの」「じんじんさせて」「燃えつきそう」「きりきり舞い」といった一連の作品もヒット曲となった。 1976年(昭和51年)2月10日に「およげ!たいやきくん」のアンサー?ソング「私の恋人、たいやきくん!」(作詞?中山大三郎、作曲?穂口雄右)を発売。この曲が契機となり、あるテレビのトーク番組で子門真人と共演した。 しかし、1970年代後半から再び人気が低迷。山本を陰で支えた最愛の母の自宅浴室での50歳の若さでの事故死、所属事務所からの解雇など、再び不遇の時代をすごした。地方の小さなスナックなどでのドサ回りもこなしたが、当然スナックには歌手の控え室などなく、狭くて汚いトイレで衣装を汚さないように細心の注意を払いながら着替えなくてはならなかったという。 1980年代以降? ? 1980年代後半に入り米米CLUBがリンダの楽曲をカバーしてライブで演奏していたことや、1990年(平成2年)にはテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の番組内で登場したり、主人公?まる子がモノマネをしたりしたことなどから、リバイバルブームが沸き起こり、自身の曲をハウス調にセルフカバーしたアルバムや、REMIXアルバムが続々オリコンチャートにランクイン。翌1991年(平成3年)の第42回NHK紅白歌合戦にも久々に登場した(紅白歌合戦は通算5回目の出場)。 1993年(平成5年)、ヘアヌード写真集の出版で話題となったが、関西ローカル局ABCラジオのラジオ番組『誠のサイキック青年団』でパーソナリティの北野誠と竹内義和が山本の写真集を辛辣にこき下ろしたところ、この放送を聞いたファンからの通告で番組内の発言内容を知った山本が激怒、名誉毀損として1億円の損害賠償を請求、山本同席で番組側の全面謝罪という形で示談が成立。記者会見にて北野と竹内が平身低頭で謝罪する姿が各メディアで全国的に大きく報じられた。 1997年(平成9年)、テレビアニメ『新?天地無用!』の主題歌「夢はどこへいった」を発売。約20年ぶりにシングルランキングでもオリコンチャートへの復帰を果たす。 2001年(平成13年)、7歳年上の大学教授?稲葉光彦と5月3日に入籍結婚(初婚)。 2005年(平成17年)、アサヒ飲料の缶コーヒーのCMに起用される。また、代表作「どうにもとまらない」の歌詞をアレンジした、「どうにもとまらない?ノンストップ」が発売され(リメイクされた詞は阿久悠が“今の若い人達に夢や希望をたくさん送ってあげたい”という想いから新たに書いたもの)、テレビアニメ『レジェンズ?甦る竜王伝説』のエンディングテーマに採用された。余談だが、これを記念してリンダ自身がゲストキャラとして1度だけ出演した。なお、「どうにもとまらない?ノンストップ」には英語バージョンも存在し、こちらも同じく『レジェンズ?甦る竜王伝説』の初期エンディングテーマとして流れていた。作詞はen:Gary Perlman、歌はen:Brenda Vaughnがそれぞれ担当。 2007年(平成19年)、宅配ピザチェーンのドミノ?ピザのTVCMで、「どうにもとまらない」の替え歌「ド?ミノとまらない?」として楽曲が起用される。このTVCMでは、タレントの劇団ひとりが演じるドミノ?ピザのイメージキャラクター「ドミノスター」が、多くのドミノ?ピザファンが取り囲むステージ上で同曲を熱唱している。